ペタペタペタ…
「作業興奮」という言葉があるらしい。
渋々やり始めた作業も、やり始めるとスピードが上がってくることをいう。
また、この「作業興奮」の力は後半から終盤にかけて発揮されるんだとか。
今まさに、クラス全体が「作業興奮」状態である。
ざわついていた美術室から、徐々に雑談の声が消え、今は静まり返っている。
誰もが「想像する自由な魚」を描くことに疑いを持たず、必死に打ち込んでいる。
私は美術が好きで、序盤から「想像する自由な魚」を描くことに打ち込んでいたので、皆の作業興奮の波に乗れず、今、逆に集中力が切れてきてしまった。
「想像する自由な魚」を描く、そもそも何のために?
皆が最初に思っただろう疑問を、ここでやっと持つ。
私の「想像する自由な魚」は、これは、果たして正解なのか?と不安にすらなってきた。
隣の席を見ると、モカちゃんの真剣な姿が目に入った。
真剣過ぎてすごい前のめりになってる。耳にかけた短い髪が垂れて頬に当たってる。
画用紙には青緑のような色を塗っていた。鉛のような重さが感じられて、だけど決して濁ってない、絶妙な色。
パレットには、綺麗に澄んだ青色から、混色して原形をとどめていない色の絵の具までがグラデーションになっていた。
モカちゃんは絵が上手だ。
でも、休み時間も描いてるとか、自己紹介で絵が好きとか言うわけじゃない。
モカちゃんといえば、明るい人柄と、かわいい容姿が最初にイメージされる。
確か、将来は保育士になりたいと言っていた。
モカちゃんは美術が得意だ。
たぶん、好きというより得意だ。
私は美術が好きだ。
だけど、才能はない。
夏休みが明けて、校内から市展へ選出される作品が発表された。
自画像や石膏デッサンに混じって、モカちゃんの魚が泳いでいた。
自分が想像した、自由な作品が選ばれるって、どんな気持ちなんだろう。
モカちゃんの気持ちは、きっとずっと分からない。
でも、なんとなく、モカちゃんが本当に自由に描いたわけじゃないということだけ、思った。